GIGAZINEの山崎さんより「GIGAZINE 未来への暴言」を頂戴した。
読了後の感想を書いてみようと思う。
枠線で囲った箇所は著書に書かれている部分を私なりに要約したもの。
まず、何よりも、
インターネットの力を信じ、インターネットを活用して、
世界と主体的に関わり、世界を変えようとしている筆者山崎さんの姿勢に強く共感した。
ちなみにオタク気質を貫いて国内最大の独立系ニュースメディア(月間UU=2000万)となったGIGAZINE編集長でもある筆者山崎さんによる「オタク」と「専門バカ」の違い。
「オタク」は自分の好きなものを布教しよう(専門外の人にも広めよう)とする。
例え理解されなくても平気。
面白さを理解できる「理性」、膨大な量の知識を教養として活かす「知性」、面白いかどうかを判断する「感性」を持つ。「専門バカ」は他者との違いを認めず排斥し攻撃する。
快と不快、好きと嫌いという「感性」だけで生きている。
これは私が過去に聞いた中で「オタク」という単語の最もポジティブな解釈だ。
私もオタクになりたいと思う。
「Knowledge is our power」知識は我々の力なり。
余の中の全ての事柄は繋がっているのだから、自分に関係のないことなどない。
インターネットは知の集積であり、知識を得るには最適な場所だ。
オタク的に何でも知的好奇心を持って知識を得るべきだ。しかしながら、インターネット上には清濁、真偽、両面の情報がある。
(実はインターネットに限った話ではなく全てのメディアがそう)
だから、人は理性・知性・感性を持ってメディアに接しないといけない。
まさにその通りだと思う。
テレビをボケーと視聴して自分で取捨選択の判断能力を持たず白痴状態(1億総白痴化と言われてましたね)だった人も、今インターネット上で専門バカになって他者との違いを認められず排斥し攻撃する人も、理性・知性・感性が足りないという意味では同じだ。
テレビ視聴を蔑視する人は”白痴状態”のテレビ視聴を指して嫌っている。
私もテレビで見たことばかりしか話さない人と話すのはあまり気が進まない。
しかし、テレビ視聴蔑視をことさらに強調する人と話すのも同様に気が進まない。
テレビだと生活に身近すぎるので違う例をあげるが、「ソーシャルゲームが楽しいことを理解できない」のと「ソーシャルゲームが楽しいと思う人がいることを理解できない」には大きな違いがある。
そういう人がいることを理解し認めることが重要なのだ。
自分が楽しいと思うかそうでないかは別次元の話だ。
少なくとも楽しいと思っている人を馬鹿にしたりするのは止めたほうがいいと思う。
理性・知性・感性を身につけていくために、教育が重要であり、インターネットが使える入試でどんな問題を出すのか、学校では何を教えたらいいのか。
これらの問いは、私も自分が子供ができた時にはゆっくり考えたい課題だ。
インターネットによって個人が力を持ち、やがてインターネットのルールが世界のルールとなる日が来る。
私自身もそう信じている。
インターネットは世界を変えるという確信がある。
その過程の色々な局面で既得権益を握る旧世代と新世代との戦いがあり新世代が勝つ。
新しい民主主義が形成され、国家の概念も再構築できる。
”世界はどうせ変わらない”なんていう無力感にどっぷり浸かってないで、狭い世界から脱出しろ。
自分が知らないことだからこそ知ろうという態度を持とう。
どんどん自分の興味に従って情報を体験し、意思表明しよう。
自分の意思と世界の動きは繋がっているんだ。
ガラポンで実現しているテレビ番組の新しい視聴形態が目指しているのもココだ。
従来のテレビ視聴形態のように”たまたま”出くわした番組に”何も考えずに”脳を明け渡すのではなく、主体的に視聴する情報を選び、それに関して自分の考えを表明し他者の考えを聞き、関連情報へ無限に繋がっていける機会を提供していく方向へとサービスを進化させていきたいと思っている。
と、非常に共感することの多い本であった。
また、この著書では、未来をインターネット時代の情報流通の側面から考察しているので、折々でコンテンツや著作権に関する筆者の持論が展開される。
その中で私が違和感を感じた点。
AmazonやKindleは既存のビジネススキームの代替しただけである。
Youtubeのみが破壊的なビジネスモデルである。理由は著作権という概念を破壊するから。
Youtubeも著作権という概念は破壊していないんでないかと思う。
そもそも著作物には著作した人がいるということは著作権は消滅するものでないし破壊もできないと思う。
今までの経済モデルは「価値のあるものには相応の対価を払おう」というものだった。
無料戦略は「ここまでは無料でどうぞ、ここから先は有料でどうぞ」というもの。
パトロンモデルはさらにその先、「無料のものに対価を払おう」という考え方。著作権問題がややこしくなっている原因は「対価の取り扱い」について無料というものを想定していないためだ。
広告による無料戦略も、ユーザー課金型ビジネスモデルも同じ穴の狢(むじな)。
ただの消費者としてのファンではなく、存在を支えるためのパトロンが、コンテンツに直接お金を払う(寄付する)ことが重要。
それを成立させるのが超小額決済(Paypal Micopayments)。
このパトロン方式による流通市場は今後、間違いなく拡大する。
それに異論はない。
ただ、これが唯一の商流となるわけではない。
コンテンツに対する収益モデルは多様化する。
コンテンツ自体もマルチデバイスで様々な流通形態で繰り返し利用され、それぞれの局面で収益化のために担う役割は変わるだろう。
映画への動員が目的のテレビ番組とか、DVD販売が目的の動画とか、コンテンツ単体1回きりの視聴で投資を回収する必要はない。
広告の形態だって強制的に視聴させる形態もあれば、他の情報に誘引させる形態、コンテンツ自体が広告だったりと様々な形がある。
そもそも人間の興味は無限大だ。そして人間の興味は、全くの無から発生するのでなくコンテンツ視聴という外部刺激を受けると、派生する様々な需要が必ず生まれる。
それらの需要を的確に捉えることで収益を上げコンテンツ制作者へと還元する。
私はそこを開拓していきたいと思っている。
備忘:以前読んでまた読みたいと思った本
「ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)」
最後に
インターネットの力を信じ、インターネットを活用して、
世界と主体的に関わり、世界を変えようとしている筆者山崎さんの姿勢に共感し、本のレビューというよりも同志からもらった手紙への返信のようなつもりで書いてみた。